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エクアドル

エクアドルってどんなところ?

~ エクアドルには大きく分けて4つの地域があります。~

ガラパゴス諸島

一生に一度は行ってみたい観光地の1つとして高い人気を誇っているガラパゴス諸島。そこに棲む動植物の多様性、自然の美しさは多くの観光客を魅了し続けています。 1978年にユネスコ世界遺産(自然遺産)として登録され、2001年にはガラパゴス海洋保護区も含め世界さんに登録されました。現在は世界で2番目に大きな海洋保護区です。世界で最も注目されている最後の楽園です。

アマゾン地方

生息動植物の種類においてコスタリカのジャングルと1、2位を争うエクアドルでは、1エーカー(4046㎡¥)あたり100種類以上の樹木が記録されています。アマゾンの河川、湖沼、湿原には600種以上のの魚や 250種以上の両生類や爬虫類が発見されています。またナポ州の河川流域は、2種類の5メートル以上の長さにまで達するワニの営巣地となっています。

山岳地方(シエラ)

エクアドルの魅力はガラパゴスやアマゾンだけではありません。エクアドルアンデスには、世界でも有数の火山列島があり、多くの登山家や冒険家を魅了し続けています。
6時間で5987mのコトパクシ山登頂ができるなど、山へのアプローチの便利さや、山々が集中しているためエクアドル登山は世界の登山家の間でとても有名です。

海岸地方(コスタ)

世界中のサーファーを魅了するエクアドルのビーチ。大きな波に挑戦するため、ブラジル、ペルー、アメリカ、ベネズエラなど各国から多くのサーファーが毎年訪れます。サーフィンの世界大会も行われる地で、1ランク上の波に挑戦してみてはどうでしょう。さらに海洋保護区のマチャリージャではクジラやイルカなどを見ることが出来ます。

エクアドルの歴史と文化

文化

エクアドル本土は、シエラ(アンデス山脈地帯)、コスタ(海岸地帯)、オリエンテ(熱帯雨林地帯)の3つの地域に分けられ、それぞれの地域で違った文化、人々、食べ物、動物などが見られます。様々な観点を楽しむことができます。

キトを中心とするシエラは、アンデス山脈を形成する4000~6000mを越える山々に囲まれ、登山、サイクリング、ラフティングなど様々なアトラクションを体験することができます。キトの南、リオバンバから出ている電車では、列車の屋根に乗って4000mを越えるアンデス山脈を抜ける電車の旅をお楽しみいただけます。クライマックスには“悪魔の鼻”がまっています!

コスタに行くとシエラと派全く異なる“南国”を見ることができます。人々はとても陽気で気さくな人が多いです。「人生楽しく」をモットーに過ごしています。また、コスタは、海鮮料理がおいしいです。典型的なものは、セビーチェと呼ばれる料理で、魚、タコ、イカ、貝、蟹などを塩とレモンでさっぱりめに調理した冷たい料理です。日本人の口にも良くあうので、ぜひ召し上がってみてください!

オリエンテは世界でも有数の広大熱帯雨林地域で、未開の地域がまだたくさん存在しています。ブラジルを流れるアマゾン川は、実は、ここエクアドルに源流があります。エクアドルのジャングルは世界でもコスタリカと1,2位をう質を持っていると言われています。アマゾンでは、絶滅危機に瀕した鳥や動物をみることができます。キトから飛行機でも1時間かからない距離にあるため、気軽に行くことができます!

歴史

15世紀にエクアドルに以前から生息していた先住民は度重なる戦争及び、婚姻関係を結ぶことでインカ帝国によって征服されました。後にインカ帝国は、北は エクアドルとコロンビアとの国境、南はチリ北部にいたる南北4000kmを支配するまでの大帝国になりました。エクアドルを支配したインカ帝国の皇帝ワイ ナ・カパックには二人の息子がいたため、死後、アタワルパにキト周辺の北側、もう一人の息子ワスカルにクスコ周辺の南側を支配させることを提案しました。 しかし、ワイナ・カパックが亡くなると二人は王位継承をめぐって争いました。ちょうどその頃、1531年にスペインを指揮するフランシスコ・ピサロが内戦 によって引き裂かれたインカ帝国に到着しました。アタワルパはワスカルを破りインカ帝国の再統一に成功したものの、ピサロはこの兄弟の不仲を巧みに利用 し、 1532年11月にアタワルパを捕らえ処刑しました。

その後、先住民はスペイン人によって課せられた重労働と病疫によって多くの者が命を落としました。キトはペルー副王領の統治下と され、首都はペルーのリマに置かれました。およそ300年に渡るスペインの支配下で多く先住民がカトリックに改宗させられました。現在はエクアドル国民の 90%がローマカトリックとされています。その後18世紀には、アフリカから黒人奴隷も連れて来られました。

19世紀になるとラテンアメリカ全土に独立運動が広まり、エクアドルも例外なく参加しました。独立の英雄、シモン・ボリバルは現在の コロンビア、エクアドル、ベネズエラを一国統括した“グラン・コロンビア連邦”を試みたが失敗に終わりました。エクアドルは1830年8月にフアン・フ ローレンス大統領のもとで独立が宣言されました。その後次々と政権が入れ替わり、不安定な期間が続きましたが、1860年代に保守的なガブリエル・モレー ノがローマ教会の支援の下エクアドルの再統一に成功しました。19世紀後半には、ココアを求める世界の需要が高まり、それに応じたエクアドルは高地から海 岸まで経済商品経路が築かれました。

隣国のペルーと国境を接するアマゾン領域問題は持続的に論争が広がっていました。1941年、2国間の緊張はついに戦争へと発展しま した。ペルーは領内におけるエクアドル軍隊を侵略だと主張し、一方エクアドルはペルーが侵略していると主張したのです。最終的に、1941年7月23日に ペルーはエクアドル側領土への侵入に踏み切りました。大挙してサルミーヤ川を渡って、エクアドルのオロ州に進みました。ペルーはすべての戦争地域の支配権 を握り、エクアドルのオロ州とロハの州の一部分(国のおよそ6%)を占領しました。そして、エクアドル政府が彼らの領土権の主張をやめることを要求しまし た。また、ペルー海軍はグアヤキルの港を妨いただめ、エクアドル軍は他からの供給が受けられず、結果数週間の戦争の後、アメリカとラテンアメリカ各国によ る圧力の下で、終結しました。

エクアドルとペルーは1942年1月29日に第二次世界大戦における枢軸国に支援得、リオ・プロトコルで会合を開き、 ペルー勝利に終わり、エクアドルは係争地域をペルーに譲歩することとなりました。その後 2回の戦争の後、1989年についに和平合意に達しました。

1960年代、不況と民衆の不安が高まり人民党員政治と国内軍事介入へとつながりました。一方、海外投資会社は1972年にエクアド ルアマゾン地域における石油資源に目を付け、アマゾン地域から海岸までのパイプラインを完成させエクアドルを南アメリカ第二の石油輸出国へと導きました。 同年、「革命と国粋」軍事政権は政府を打倒し、1979年まで政権を握りました。その時、選挙は新憲法の下で開催され、ハイメ・アギレラが大統領に選出さ れ、飛行機事故で亡くなる1981年5月24日まで治めた。1982年までには、オスヴァルド・ウルタード政権は慢性の政権の不安定により、高度インフ レ、財政赤字、、国内産業の競争力低下などの経済恐慌に直面した。高度インフレは年々悪化し続け2000年には外貨相場 25000スークレで米USドル1USドルになるほどまでエクアドルの通貨は低下しました。ついに、2000年1月9日に、ハミル・マウアド大統領は進行中の経済 恐慌対策としてエクアドルの公式通貨にを米USドルにするという意志を発表。2000年9月10日に正式に採用されました。

情勢不安定と経済不況ざ続き2004年12月の特別国会で2002年から大統領を務めていたルシオ・グティエレス大統領が、最高裁判 事の大部分を更送した。その後この措置に対する批判が高まり、全国規模でデモが展開され、2005年4月に、国会はグティエレス大統領を罷免した。同月、 副大統領パラシオが大統領へと就任しました。2006年11月26日にアルバロ・ノボアとラファエル・コレアが大統領選挙に選出され、ラファエル・コレア が1979年以来の最高有効票を獲得して大統領に就任しました。

現在は、前大統領ラファエル・コレアの退任により、去年行われた大統領選挙で勝利した同じ党のレニン・モレノが就任しています。

エクアドルの基本情報

首都:キト

公用語:スペイン語、キチュア語

通貨:USドル
コインは1,5,10,25,50ctv(センターボ)と1ドルがあります。コインのみエクアドルで発行されているため国外では使用できません。
またUS100ドル紙幣は普及していないため受け取ってもらえないことがあります。

時差:日本より14時間遅れ、サマータイムは実施していません。

電圧とプラグ:日本と同じ110ボルト、60ヘルツ。プラグは平2つ穴のAタイプが主流ですが、異なるタイプもあります。

気候:エクアドルは訪れる場所によって、天候が変わる。山岳地帯(シエラ)の天候は変わりやすく、11月~4月間が雨季となり一番寒い時期ですが平均気温、高20℃~低15℃と過ごしやすい気候です。ガラパゴスを含む海岸地帯(コスタ)は逆で、11月~4月が一番良い時期となり平均気温は30度前後です。山岳地帯(シエラ)では暖かい5月~9月間が逆に海岸地帯(コスタ)では寒く、波風も少し強まります。

その他情報

  • ビザ:
    観光目的で90日以内の滞在を予定している人で6ヶ月以上有効なパスポートを持っている人は、ビザを取得する必要はありません。
  • チップ:
    中級以上のレストランでは、料金の10%程度がすでに加算されていることが多いです。
    ホテルの場合、ルームサービスやポーターにUS1ドルほど渡します。
  • 水:
    水道水は飲まず、スーパーなどで購入しましょう。(洗顔やうがいなどは水道水でも大丈夫です。)
    ミネラルウォーターはsin gas(炭酸なし) con gas(炭酸あり)があります。
  • トイレ:
    公衆トイレはほとんどが有料です。(15ctv~)
    トイレを使用する前に小銭を予め用意しておきましょう。トイレットペーパーは便器に流さず備え付けのごみ箱へ捨てます。
  • インターネット:
    年々ネット関連のビジネスが普及し、どこからでも簡単にアクセスすることができます。最近ではキトの中心部では無線ランインターネットカフェなどもできてきました。インターネットカフェの料金は、1時間約1USドルが平均でしょう。 Juan ValdezやSweets & CoffeeなどのカフェにはWifiがあり、パスワードを聞けば無料でインターネットを使うことができます。
  • 電話:
    エクアドルから外国への電話は不安定ではありますが、我慢強く挑戦すれば大体どこにでも電話をかけることができます。 ホテルからも掛けることもできますが、割高となります。長くかけたい場合などはインターネットカフェを使うと安くかけられます。基本的に1分12セントくらいでしょう。
  • 電話の掛け方:
    エクアドルから日本にかける場合は、+81の後、最初の0を除いた番号にお掛けください。
    日本からエクアドルに掛ける場合は、+593の後、最初の0を除いた番号にお掛けください。

治安について

  • 治安は改善されつつありますが、人気の居ない場所や夜道はスリや窃盗が発生しやすいので夜の外出・1人での外出は危険なので極力控えてください。観光地へも少人数で行かれることをお勧めいたします。歩いて観光する時はあまり現金を持ち歩かず、カメラなどの高価なものにも十分注意しましょう。バスや人混みの中はスリに遭い易いので手荷物(リュック等)は前で持つようにしてください。 万が一強盗に遭った時のために、すぐに渡せるお金を用意しておきましょう。 華美な恰好や歩きながらのスマホは狙われる対象になるので注意しましょう。

日本からエクアドルへの行き方

日本からエクアドルへの直行便はなく、アメリカ・欧州を経由して行くのが一般的です。アメリカを経由して行かれる方は渡航ビザESTA(エスタ)の申請が必須となります。出発3日(72時間)前までにインターネット( https://esta.cbp.dhs.gov/ )を通じて申請してください。

 

※南米国内線などで出ない場合はお問い合わせください。

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